一流の人の考え方
毎朝、働きたくて起きているなら、あなたはお金をコントロールしている。
しかし、働かなければならないから起きているなら、あなたはお金にコントロールされている。
世界で最も豊かな国と言われるアメリカですら、国民の9割以上がお金にコントロールされているのが現状だ。
お金がないのは結果であり、原因は考え方にある。
一流の人は意識を変えて、お金を引き寄せる考え方を学んでいる。
二流の人は高等教育が金持ちになる方法だと思い込んでいるが、学者の大半は金持ちではない。
彼らは高度な学位や資格を取得すれば金持ちになれると思い込んでいるから、実際にそれを取得しても金持ちになれないことに戸惑いを感じている。
一流の人は高等教育の意義を認めつつも、それが金持ちになることとはあまり関係がないことを知っている。
二流の人が時間とお金を交換するのに対し、一流の人はアイデアとお金を交換する。
問題を解決するアイデアがあれば、お金を稼げることを知っているからだ。
二流の人はお金がないことへのいらだちから金持ちを侮蔑することがよくあるが、お金を稼ぐにはアイデアがあればいいことに気づいていない。
約150年前、共産主義を提唱したカール・マルクスは、労働者階級が立ち上がって圧政を解き放つと信じていた。
しかし、彼は労働者階級に特有の「貧困を引き寄せる考え方」を計算に入れていなかった。
たとえば、貧しい人に100万ドルを稼ぐチャンスを与えても、それを生かせずに貧しい状態にとどまってしまうのである。
貧しいセルフイメージが足かせになるからだ。
このように貧富の差は考え方に起因する。
苦難の歴史が続いたユダヤ人には、有名な教えがある。
「土地や財産は奪われることがあっても、知恵と人脈は奪えない」
虐待され、身ぐるみ剥がされ、投獄されても、知恵だけは牢獄のなかまで持ち込める。
国を追われ続けたユダヤ人だからこそ、もっとも投資するべきもの、最後まで信用できるものは知恵と人だと看破しているのだ。
財産をすべて奪われても、人には知恵が残っている。
たとえ会社が倒産しても、知恵さえあれば再びビジネスを始められる。
希望さえ失わなければ、その知恵を糧に、かならず復活できる。
プロスポーツ選手をめぐる残念なニュースを見るたび、彼らに必要だったのは何億円もの年俸ではなく、ごく基本的な知恵だったのではないかと考えてしまう。
本は、知恵にアクセスするための素晴らしいツールだ。
たとえ学校に通うお金や機会がなくても、私たちには読み切れないほどの本がある。
野口悠紀雄氏の著書『「超」納税法』(新潮文庫)には、興味深い考察が述べられていた。
「知識には税金がかからない」
これは驚くべき発見だ。
知識は固定資産に近い性格を持っているのに、土地持ちは課税されても、「知識持ち」は課税されない。
そもそもどれだけ保有しているか測りようがないのだから、税務署だって把握できない。
でも、知識の有無によって、お金を稼ぐ力は数倍、数十倍はちがう。
「老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。
老年が食物として必要なのは『知恵』である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ」
知恵を得るために、本を読み、学び、勉強します。
本を読んだだけでは“知識”ですが、それを何かしらの行動に結び付け、試行錯誤することによって“知恵”となります。
お腹を空かせた村人に教えることは、魚のいる場所(知識)ではなく、魚の獲り方や、獲った魚の料理の仕方といった「知恵」。
釣り竿の使い方を知らない人に、釣り竿を渡しても、魚は釣れません。
魚の居場所が分かっても、獲り方が分からなければ獲れません。
調理の仕方が分からなければ、ただ魚がいるだけです。
本当に必要なのは知恵なのです。