ナイキvsアディダス 知られざる戦いがあった
元NASAのフランク.ルディ氏は靴のソールに空気を組み込んでシューズにするというのを発明した人だ
最初に持って行ったのがアディダスだったのだ
ただ当時アディダスはシェア8割を超えていて天下の
アディダスだったのだ
選手もアディダスのスーパースターを履いていたりしていて見向きもされなかったのだ。
結果ナイキに持っていき、ナイキエア1979年に発売されたのがエアテイルウィンドを発売したのだ。
しかし本当にエア入っているのかとなり
1987年にエアマックス1が登場して1995年名作エアマックス95がでたのだ
アディダスがあの時にフランク.ルディ氏から承認していれば歴史は変わっていたかもしれない
ナイキといえば、マイケルジョーダン選手だが
昔からアディダス信者だったのだ
ノースカロナ時代ユニフォームやシューズはコンバースだったのだ。
練習の時のシューズはアディダスを履いていて
しかしアディダスは当時シェア8割でスター選手を抱えていたので、金銭的な折り合いがつかなく
ナイキがジョーダンを見つけるのだが、ナイキのプロモーション費用を全部ジョーダンにつぎ込んだのだ。
年間50万ドル、5年契約を勝ち取るのだ
そして1985年にナイキジョーダン1が登場したのだ
ナイキから提示された条件が3年以内に新人王
オールスター出場、1試合平均20得点を提示されたが
これを、1年以内に達成したのだ
ただ、NBAがこのナイキジョーダン1を履く事を禁止にしたのだ
何故ならNBAのルールでシューズの色の8割が白色じゃなければいけなく、履き続けるならば罰金1試合5000ドルを命じたのだ
罰金を全額負担する代わりにナイキはジョーダンにシューズを履かせ続けたのだ
そして逆手にとったCMを出したのだ
『NBAがこの革新的なバスケットシューズを追放した。だが、君たちがこのシューズを履くことは禁止出来ない』と流したのだ
このCMによってエアジョーダン1が8000円ぐらいで3ヶ月で70億円の売り上げを叩き出したのだ
しかしアディダスも負けてはおらず1986年アディダスはとあるアーティストと契約するのだ
RUN-DMCが流行させた靴紐なしスタイルが流行したのだ